グリーフケア神戸 風の音

グリーフケア(悲嘆ケア)に関するブログです(^^)

なんか嬉しいお話

今日、牡牛座にいる太陽と、革命の星天王星が、ぴたっと重なりました!
天王星が牡牛座にいる7年間の始まりー!のような日です。

あなたは、どんな7年間にしたいですか?
(牡牛座は五感の星なので、身体に関する改善はとっても良いと!)


さて、最近、Twitterでも、プロテイン飲んでます!
って人が増えて、本当に嬉しいです(*^▽^*)
(いつもたくさんのいいね!やRTありがとうございます)


去年私がツイートし始めた頃は、何言ってんだ!
みたいな感じでしたから、
ようやくプロテインが市民権を得た感じがして、とっても嬉しいです!
決して嘘をついてる訳じゃないのに、
私のリウマチが誤診だったのでは?とか、
何かを信じたい気持ちはわかるけどねぇ~(呆れ)

みたいな雰囲気でいじられてるのも知ってましたが、
ま、いっか、って思ってスルーしてました(笑)


最近、一番嬉しいのが、
プロテインをおそるおそる飲んでみて、思いのほか早く効果出て、
こりゃすごい!!ってなって、他の病気で辛い思いしてる人にも、
「タンパク質すごいよーーー!!!」って教えてる人が増えてる事。
めーーーっちゃくちゃ嬉しいです(@⌒ο⌒@)


自分で実感したからこそ、おっ!!!ってなりますからね!(笑)


とは言え、病という状況になったのは、過去の栄養不足。
取り返すのは数か月で改善とはいきませんので、
コツコツ、少しづつ少しづつ栄養を重ねていきたいですね!

 

リウマチの為5年間飲んでいた、アザルフィジンを3月にやめて、
もうすぐ二か月ですが、
ステロイドは去年の11月にやめました)
正直、免疫抑制剤やめてからの方が、辛い~~って、
寝たきりになるのでは?と一瞬思ったりもしましたが、
いつもにまして、厳しく糖を制限し、プロテインましまし、
ビタミンCや、ミネラル増しでいったら、意外とどうもなく過ごせてます(笑)
夜更かしに気をつけたり、しっかり汗をかいたり、ストレッチしたり、
ヨガの呼吸をやってみたり、気を付けてる事はいくつもありますが、
まずまずの調子です!

 

栄養入れると一旦炎症が上がる事もあるんですが、
炎症の仕組みをわかると怖くないですからね。
材料がきたから、炎症→身体を修復、治してるんですね。
一緒に炎症の餌の糖摂ってる!とかだともちろん燃えまくりますよ(^^;

私は栄養入れ始めて四か月過ぎたあたりから、
炎症の値も落ち着いてきましたよ。

 

この調子で、少しづつ進んでいきたいです☆

 

広島のお好み焼き屋のおかみさん、リウマチを藤川理論で完治

atagoya.exblog.jp

 

 

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私の生い立ちのお話

今日はつらつらと心の整理のためにも、
自分の事を書いてみようと思います。
(たぶん、長いです・・・^^;


いつかの記事にも書きましたが、私が生まれてすぐ実父が失踪し、
私は母一人で育ててもらいました。

母は飲み屋さんで働いて幼い私を家に置いて、
働きに出てくれました(今の時代は虐待とか言われそうですね(^^;
はっきりいって貧乏でした。(いや、はっきり言わなくても(笑)


母はいつも
「何でも自分でできないとダメ!」のもと、
5歳で耳鼻科に一人で通いましたし、
(最初の1回だけは母と一緒に。診察券はこう、
お金はこうみたいな感じで特訓)何でもやらされました。

 

夜、私が寝てから家に鍵をして仕事に行くのですが、
緊急な事があれば、お店に電話するように言われてました。
幼くてはっきりは覚えてないんですけど、熱が急に出たんだと思います、
寝てるお布団の上で、吐いてしまって、パニックになってしまいました。
5歳とか6歳だったと。
でも母はいないし、必死に電話したものの、
布団を汚してしまった・・・・、母に迷惑かけてしまったというので、
悲しくて泣いてしまい、今でもその光景をうっすら思い出すと涙がでます。


母が仕事場から戻ってきて私を救急外来に連れていって、
お医者さんからはこっぴどく叱られたようですが(仕方ないですよね。
でも、綺麗ごとではなく、生きていかないといけないので、
母も必死だったと思います。頼れる人もいませんし。
生活保護のような事も母に打診があったようですが、
身体が悪い訳でもないので働きます!まだ頼りません!って頑なに断ったそうです。


そうして成長していくと、女ざかりの母が、彼氏をつれてきます。
泊まったりした事もあり、新しいお父さんだよ~みたいな感じでした(笑)
ただ、その彼氏が母に暴力ふるうんですよね。
一度、その彼氏が私にまで手をだそうとしたのを見て、
母親が、出ていけ!!!とその彼氏を追い出していました。
包丁片手に・・・(^^;;;
彼氏の代わりはいくらでもいる、でも、あんたの代わりはいない。
ママが悪かった・・・と泣いてました。


でも数か月するとニュー彼氏!w
まー、そういう感じで育ったのですけど、
歴代の彼氏は母を殴るので、
精神科医の父が現れたとき、やっと殴らない人きた!って喜んだのを覚えています。
その父が私に大きな影響を与えてくれて、数年前に看取るまでいろんな事を教えてくれました。

 

こういう生い立ちなので、ニュースとかで母親の彼氏っていうのを
見ると、ムカムカします。


反抗期になり、母親と衝突したりして、
高校を辞めました。反対されましたが、もうスルーしました。
母は、学校やめるなら、もう扶養義務はない。
働いてお金をいれなけば出ていけ。
こんな感じでしたので、居酒屋でバイトしました。
皿洗い、掃除、何でもやりました。
安い時給、でも、こんな私を雇ってもらえるだけでありがたかったです。
途中から見かねた父が、クリニックの掃除人として雇ってくれました。
父と母は籍が入ってる訳じゃないので、私はもちろん他人。
そこは甘えは一切なく、誰よりも働きました。
むしろ厳しくされました。口答え厳禁、未成年だからって労働者にはかわりない。
社会人として扱ってくれました。厳しかった。
初めてみる精神科の患者さん。。。怖かった・・・。
もちろん怖いとか言えないし、どうしてこうなるんだろう・・・って。
毎日悩んでましたが、私に選択権はないので、働くしかありませんでした。
今思うとこの時の疑問が、病とは?って考える原点かもしれません。

(でも、ここででていけ!お金を稼げ!て厳しくされて良かった。

さもなくば、今問題になってるひきこもりに私もなってたかも・・・)

 


一方でこの頃は、もうリアル尾崎豊のみたいな生活でした。
盗んだバイクで~~~~です。笑
仕事が終われば、盗んだバイク生活です。(念のためバイクは盗んでない(笑)

 

みんなが高校に行ってる時に、雨の日も風の日も必死に働きました。
そんな感じで盗んだバイクで生活も飽きてきたので、本屋さんに行き、
高校卒業認定試験(私が受けた時は大検でした)の情報をゲットし、
18歳で初めて受験し資格を得て資格ゲット!→19歳でナースの学校にいきました。

 

救命救急と急性期脳外科外来でみっちり鍛えられて、
なーんか違うな~とか、いろいろありつつ、関西に出てくることに。
私は人が生まれる瞬間よりも、死んでいく時の助けになる人になりたい!と、
ターミナルケアに興味を持ち、勉強してました。
そして、ナースやーめた、と思って、夫と結婚しました。
それからは夫の実家の家業、商売の世界に。みっちり鍛えてもらいました。
雑草育ちの私が、超温室育ちの夫と(笑)
商売人って空気が意外と私にあってたのかもです。
経営者となり十数年。そしてリウマチになり働けなくなり・・・。
そして今またグリーフ(悲嘆)のケアの勉強中です。

 

最近よく思うのです。


私の生きてきた道は、楽ではなかったかもしれません。
でも、「自分で考えること」は、昔から当たり前のように言われていて、
本を読む事、しっかり検証する事も教えられてきたように思います。


最近、よく母と話すのですが、


子育てという懲役20年の試練(子供が20歳になるまで)
私は16歳で高校をやめ、経済的負担はそれ以来一切母にかけてませんから、
私が
「ママは、模範囚だったから16年で終わったんだよ。良かったね!」
と言うと、
今でも涙ぐんで泣き笑いな顔になってます。

 

私はある意味偏ってる部分もあるし、欠けてる部分があるのも、自覚があります。
でもそれを責めようとかは一切ないです。
母にとっての最善を当時つくしてくれて、私を育ててくれた。
感謝しかありません。
(感謝となるまでは、それはもう葛藤はたくさん(笑)


こんな私なので、人生なめてる人は嫌いです。甘ったれ論外。
一生懸命な人が好きです。
~~~障害のようなものとか、~~チルドレンに私も当てはまるかもしれません。
でも、だから何?です。


勉強を人から教わらず、全部ひとりでやってきたのも良かったかもです。
塾なんて通った事ないし、嫌いでした。余計なお金がかかるので。
栄養の勉強していても、もとの私がこうなので、
自分でやったるぞ!!精神が強いのかもしれません(笑)


幼い頃、貧乏でしたが、
本をたくさん与えてくれて(自分で選ばせてくれてました)
そこらへんにあったお花を何かの空き瓶に飾り、
家にはいつも花がある生活で、心を豊かにしてくれた母。
そして何より、人を見抜く力を鍛えてくれました。
一瞬で、この人はいい人、そうでもない人っていうのを見抜けないと、
自分を守れませんからね。洞察力の特訓はよくありました(笑)


こんなエピソードがあります。
盗んだバイクで~の時代に、ホームレスのおじさんと友達になった事あります。
家にも連れてかえってきて、母がすきやき作って食べてもらってました。
今考えると、この母親もおかしい人ですよね。
でも、娘がお世話になってます、って感じで、お肉提供してましたよ。
おじさん、お肉のお礼だって、うちの周り綺麗にして男でしかできない力仕事みたいな事して、
どっかにさっていきましたw
この時のなごりなのか、最近はそんな事ありませんが、
知らない人と友達になるの早いです!
飲み屋さんも一人で行ってたしw (スナックの英才教育してもらったから?笑

 

いまではプロテイン人間となった母(ビーレジェンドがお気に入り(笑)
自分の身を削って、大量にお酒を飲んで稼いでくれた母には、
本当に感謝しかありません。

 

発達障害とかで頑張ってるお母さんの姿みると、立場は違っても、
「頑張ってる母!」という部分で、感動します!
母はすごい!頑張れ~~って。


もし今、どこかで苦しんでて、この文章を読んでる人がいたら言いたい。
大丈夫、未来は明るい!!!

 

私がもし、母親の事を、毒親!って罵ってたら、
今の生活はないと思います。
全部、病が生き方を変えなさいって教えてくれました。


こんなダメ人間のお手本のような私でさえ、
ここまでこれました!
今は苦しいかもしれない・・・・、でも、光はあるよ!!って言いたいです!
ちょっと恥ずかしかったけど、
そういう人に届け!って思って、自分ネタ書いてみました(笑)


自分に栄養与えて、(身体にも心にも)コツコツ頑張りましょうね!

 

自分で治る道は美しいし、未来は明るい!
みんな、頑張ろう!

 

この文章書きながら、当時を思い出し、何回も泣いてしまいました(^^;;;
文章として出し切れて良かったです(笑)

 

 

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寛解の方向に

ツイッターでは、たくさんのいいね!ありがとうございます)

 

今年の8月の終わりから、プロテインを飲む生活を初めて、
もうすぐ4か月ですが、月に一度のリウマチ外来で、
先生から「完全寛解とは言えませんが、その方向に進んでいますね」
と言われて、驚くやら、びっくりやら、嬉しくて唖然としてしまってました。

5年前、リウマチと診断され、どんどん増えるステロイド
免疫抑制剤、痛み止め、胃薬、などなど・・・。
全くというほど、改善されませんでしたが、
(当然ですよね、必要な栄養を補充せずに、薬飲んでも意味ないです(汗)
プロテインを飲みだしてから、明らかに痛みの感覚が変わりました。

最初からたくさんのプロテインは飲めませんから、
最初は、お菓子や果物をやめる糖質制限に、20gのプロテインを1回飲む
事から始めました。
それでも、胃気持ち悪くなったり、不快感があったり、簡単ではなかったです。

でも、藤川徳美先生のブログを何度も読み返して、

[7年の経過を持つ慢性関節リウマチ(RA)患者、1ヶ月でほぼ完治]

ameblo.jp

>>生体は、アミノ酸からタンパク質を作っては壊し、を繰り返している。
>>古くなったアミノ酸には、原子団やミネラルが結合し、変形してしまう。
>>通常はそのような変形したアミノ酸は廃棄されるが、タンパク不足があると変形したアミノ酸が再利用される。
>>変形したアミノ酸によって作られたタンパク質は、「非自己」と認識され、自己免疫疾患を発症する。


という事は、新しい栄養(たんぱく質)を摂らないと、
再利用再利用で、どんどん抗体ができて、手遅れになってしまう!!!
新しい栄養(たんぱく質プロテイン)をせっせと取らなくては!と、
コツコツ摂取量を増やしていきました。

お肉、卵、魚をお腹いっぱい食べて、
主食は外して(ご飯、パン、麺は一切食べず。もちろん、果物など厳禁)
プロテインを20gを、朝と寝る前に取り出してから、一気に症状が改善されました。
この記事の方のように、一か月で、ほぼ痛みと強張りがなくなりました。

とは言え、20g×2回ではまだまだたんぱく質は足りないので、
その間にも、時間があれば、栄養の事や、ビタミンについてなど、
いろいろ本を読みました。
そして、プロテインの量を増やしていきました。
(楽道の小西先生いわく、リウマチの人は吐くぐらいプロテインを飲まないといけないと(^^;
(それぐらい不足しているんですよね・・・。

ビタミンの量なども増量して、プロテインを増やしつつ、
ステロイドは少しづつ少しづつやめていきました。
やはり薬をやめると痛みもだるさもありましたが、
根本的な栄養という問題を解決しない限り、良くならない!と。

それに、病気でいる自分を、自分で選んでいたのだと思います。
よくそういう話を読むと、知りもしないで!!!とか、
こんなに苦しんでるのに!!病気の人の気持ちも知らないで!!と
無性に腹が立ちましたが、今考えれば図星だったんですよね。
病気でいる事を選んでたのが私自身で、病気でいる必要がありました。
(この話は、またいつか書こうと思います)
病気でいる事で得られるメリットが勝ってる間は、
なかなか改善は難しいのかもしれません。
私は、そのずるい自分に気が付いたので、このまま難病と言われるリウマチの
状態でいるのはまっぴらごめんだ!
と、改善の為の努力を少しづつ少しづつしていきました。

そして、昨日、リウマチの先生が診察していると、
浮腫みがなくなりましたね。漢方がきいたかな(すみません、先生、あんまり漢方飲んでない)(汗)
腫れもほとんどありませんね。と診察してもらいました。
まだまだ油断は出来ませんが、
去年の12月は、自宅の階段を降りるのにも痛みで泣きながら降りていたんです。
人って変われる!と、しみじみ思いました。

リウマチを診断されても、ご自分で勉強されて、
トライアスロンに出てる方もいます。
その人を目標に、私も出来る事をやってきました。
トライアスロンはさすがに無理ですが(^^;
山登りには挑戦したいです!

 

私が今飲んでるビタミン

ビタミンA B50 C D E 亜鉛 セレン マグネシウムアスタキサンチン
コエンザイムQ コラーゲン、Lカルニチン、B5、B6(単体で)キレート鉄,ナイアシン


ビーレジェンドのベリープロテイン 30g×3
プロテインバー、プロテインクッキーなど

卵1日3個、お肉(牛、豚、鳥何でも)最低200g以上

(調味料の糖質は制限してません。)

 

まだまだ改善していきたいです^^

 

 

 

メガビタミン主義+糖質制限=藤川理論

 

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高額な医療費

リウマチを患っている人は、高額の医療費に悩まされていると思います。
私の場合理由があって、MTXを使う事が出来ないので、痛みがひかない場合は、
生物製剤も選択肢にいれようと主治医から話がありました。

生物製剤を調べてみると、何万円もします。下手したら10万円以上も。
調べてみると、生物製剤を実際行っている人は、国に対して、
リウマチを早く難病指定にして欲しいという声もたくさんありました。
それぐらい負担が大きいのです。

私も一時期、高いお金を払ってでも生物製剤を打つべきか悩んでました。
ケチ症な私は、それなら、薬が少しでも効きやすくなるように、
身体を見直そう!と、始まったのが、高たんぱくの食事や、ビタミン+低糖質でした。
私の場合、スーパーいらちなので、国が変わるのをちんたら待ってるより、
自分を変えた方が早い!と、モードを変換させて、ちゃっちゃとできる事をやろう!
と思ったのが始まりでした。

食事を抜本的に見直し高たんぱく食に、
それでもリウマチの身体にはタンパク質は足りないので、プロテインを追加、
並行して、ビタミン+ミネラル+低糖質。

プロテイン生活、2か月が過ぎて、結果として、痛みはだいぶ減っています。
大きな関節の痛みは、ほとんどなくなりました。
朝のこわばりも、ほぼなくなりました。

プロテインと並行してやった事を書いてみようと思います。
(今年に入ってやってみた事もを書いてみます)


ウォーキング(関節を動かさないと、余計に痛くなる)
お風呂
冷たい物は飲まない。(この夏は氷入りを一度も口にしませんでした)
外食しない
高たんぱく食+糖質制限+ビタミン摂取
自分の症状を徹底して調べる。
病気になるまでの生活を見直す。
22時前に寝る。
瞑想する。
悪口言ってる人に近寄らない。
素直になる。
怒らない。
自分の身体を信じる。
お掃除


つらつらと書いてみましたが、健康な人なら当たり前のことですよね(^^;;
当たり前ができてなかったんだなぁ・・と反省。
怒らないって書いてますが、これも結構大きなポイントでした。
ずーっと誰かのせいで病気になったんだ、と自分以外の人のせいにばかりしていました。
ずっと誰かに対して怒りをもっていました。
肚の中が燃えていて、炎症になったのかはわかりませんが^^;
それも、鉄剤や高たんぱく食で栄養が少しづつまわってきたからか、
何とも思わなくなりました。
貧血傾向の人は、正常に物事を考えられないのかもしれません。
極端思考になるんですよね、0か100かみたいな。
ずっとこういう性格だからって思ってましたが、そうでもないのかもです。


今日から11月。また気分を新たに、
コツコツと淡々と身体と向き合って、積み重ねようと思います(^^)
他人や国はなかなか変えられませんが、自分は変える事ができますからね☆
頑張ります!

言語化するということ

ここ最近、会う人、会話した人の中で、言語化というキーワードが続いて出てきた。

グリーフケアの講義で、悲嘆の中にいる人に対して、
「今の気持ちを言葉にするとしたらどういう気持ちですか?」
と問う事を、すごく難しそうに語っていた。
悲嘆の最中にいる人に、
気持ちを説明してもらうのは想像するだけでも難しいと思う。
死別悲嘆の場合、家族を亡くされた場合は、心に穴が開いた感じや、
半身をもがれたような気持ち、など、表現される事がある。


私の場合、うまくいかない事や、イラっ!!!とする時、
どうも考えがまとまらない時には、何でもノートというものに、
殴り書きのように、思いついたままの言葉を羅列することがある。
なんでもいい、ルールはなく、ただ言葉にする。
その言葉さえも浮かばない時は、自分が行動したことを淡々と書いたりも。

例えば、


5:20 起床
5:30 お湯をわかす
6:00 ウォーキング 3800歩 おおよそ40分

のような感じで、ただ、行動した事を書いたりする。

頭が混乱している時こそ、ただただ書いて、あとで読んでみると、
ああ、と振り返れたり。


深い悲しみの最中には、そういう事も難しいですよね。
でも、あえて、あえて言葉にするとしたら、どんな気持ちですか?
と問いかけ、言語化するからこそ、伝わる事もあると思うんですよね。
非言語的疎通なんて言葉もありますが、
言葉にしないと伝わらない事も多いですよね。やはり。

まず、自分はどう感じているのか。
それを言葉にするとしたら、どんな感じか。


蠍座木星に入った時にノリで作ったこのブログ。
もうすぐ木星は射手座に移動しますが、
小さな気持ちでも、言語化できるブログにしていきたいです。

いいお天気です

グリーフケアアドバイザーのレポートをやっと書き上げました。
た、大変だった・・・。なんせ、こういうおちゃらけ文章でなく、
ガチのやつ、真面目なレポートなんて、何十年ぶりだろう。
知恵熱出そうになりつつ、プロテインごくごくで、何とか書きました。
はー、良かった。

とは言え、今週から、また新たにグリーフの勉強を予定しています。
12月までの長丁場ですが、頑張ろうと思います。

少し前の私には考えられないです。
朝起きて、リウマチのため、こわばりがほぐれるのに数時間、
だるくて何にも出来ず、顔を洗うまでに、時間かかって・・・。
髪も洗えなかったり、足も痛かったり、本当に辛かった。

でも、もう、病気してる暇はない!と、奮起しまして。
メガビタミンの事や、病気のことを、徹底的に調べました。
そして、現在も改善中です。
少し前なら、検査結果に一喜一憂してたと思うのですけど、
検査結果ももちろん大事ですが、一番大事なのは自分の感覚、五感です。
今日のお天気はどうかな、湿気はどうかな、気温はどうかなって確認しながら、
身体の具合をみていきます。
この夏はカブトムシさえ生きれなかったという異常気象、
人間に影響ないはずがありませんよね。
胃腸の調子はどうかな、痛みはどうかなと確認しながら、瞑想します。
時間がなかったら、5分でも十分です。


今まで、なんで、怒ったり泣いたり、感情の起伏が激しかったんだろう、
怒りの後の自己嫌悪は、本当にきつかった。
糖質過多の生活じゃ、乱高下してもおかしくないですよね。
卵が先か鶏が先かじゃないですが、身体に栄養が十分にあると、
乱高下もしないのかもしれませんね。
病気が、それを教えてくれました。
私の場合、鉄サプリを飲みだしてから、
あれ?っていうぐらいにかわったので、鉄やマグネシウムとか、本当に大事です。
とは言え、まだまだ勉強中なので、少しづつ、少しづつ修復します。

 

私の身体よ、今まで本当にごめんね。
身体からの信頼を回復するため、コツコツ頑張ります!

 

今日から10月

8月にグリーフケアアドバイザーの講義を受けた後、レポートを提出しないといけないという事でしたが、締め切りが10月の半ば。

講義を終えたばかりの時は、「なーんだ、10月までか、時間たっぷりあるぅ~余裕~」と思ってた8月の自分をぶん殴ってやりたい、今日から10月です。言うまでもなく夏休みの宿題は期日通りに提出した事はありません(自慢するな)

 

昨日の記事で、自分と闘うから楽しい!嬉しい!とか言っちゃって、

なんか調子に乗っちゃってる自分に反省しつつ、レポートに取り組みたいと思います。

今までも書こう!と思いつつ、調べものする→グリーフの記事を読む→関連する記事読む→また調べる→おもしろ動画みてる!

なんでこの流れになるのかわかりませんが、そんなおもしろ動画みてる私とは今日でお別れです。やると言ったらやるぞ! そんなね不退転の気持ちを持ちつつ、

パソコンにむかって、このブログ記事を書いてる私(アカンやん)